NO.106

平成13年4月1日発行

すっかり春めいてきて、いい季節になりましたね。
ところで私は最近すっかりクラッシック音楽にはまってしまいました。

きっかけは医局の先輩の誘いで、家族全員ではるばる池袋の東京芸術劇場まで足を運んでからです。
もともと音楽は大好きだったのですが、ポップスが逆に演歌・歌謡曲程度で、ミュージカルや宝塚も見に行ったりはしていましたが、クラッシックだけは毛嫌いしていました。
分かりもしない退屈な音楽を分かったふりをして、眠気を我慢して気取りながら聞いているみたいなイメージを持っていました。

しかし100人以上のフルオーケストラで聞いたベートーヴェンの交響曲は実に感動的でした。
50歳も過ぎていろいろいままでの生き方やこれからのことや子供たちの将来のことを考えるなかで、「数百年前の天才芸術家がこれらの曲にどんなメッセージを込めたのだろうか?」とか「なぜこの時代だけしか壮大交響曲は作られず、現在の作曲家は作れないのだろうか?」「ベートーヴェンが追求し作りだしたものが時代を超えて現代人に感動や癒しを与えるのはなぜだろう?」と心の中のアンテナがビンビンと反応し、次々と興味が湧いて来るのです。

ただクラッシックにはまった理由はそれだけではなく、実は宇宿允人(うすきまさと)という魅力的な天才指揮者に出会えたからです。
彼は独学で東京芸術大学に入学し、当時の一流の指揮者である近衛秀麿氏にあこがれ、彼の書生となって学び、芸大を主席で卒業。
N響の主席トロンボーン奏者そして大阪の交響楽団の指揮者と登りつめ数々の栄えある賞を受賞し、クラッシック界のエリートコースを歩んでいましたが、一方でクラッシックの世界の理不尽でがんじがらめになった因習に我慢がならなくなり、安全だが退屈な世界を捨て、彼を慕って自主的に編成・運営される交響楽団を基盤にスポンサー無しで今まで130近い自主演奏活動を孤軍奮闘しつつ、繰り広げています。

指揮者によって同じ曲がこんなにも違って聞こえ、興奮し感動するものであること、惰性に流されず緊張感を持って生きている人の生み出す音は全く違うものだとつくづく思います。
世界的に有名な小澤征爾の音さえ緊張感のないものに思える程です。

今クリニックの外来の壁に宇宿允人の4月のコンサートのポスターを張っていますが、今年の9月と来年の3月には宇宿允人氏の指揮で行田市でコンサートを開いてもらう計画を立てています。
東京までわざわざ出かけなくても、本物の迫力あるフルオーケストラのコンサートを多くの地元の人達に味わってもらい、彼の選択した真摯な生き方と彼の作り出す音のすごさとの関係を分かってもらえたらと願っています。