NO.137「無常」と「ホームドクター」

平成16年2月1日発行

今回は「無常」についてお話しします。「レ・ミゼラブル(ああ無情)」という文学作品の「無情」ではなく、「無常」というのは「常で無い」即ち「この世の中の物質・生命体すべては常に生まれては滅んでいきつつ変化し続け、一瞬たりとも同じ状態にはない」ということです。

人間も赤ちゃんとして誕生してから老人になり亡くなるまで常に変化し続けていくのですが、赤ちゃんから思春期までは生命の力が躍動して成長・発展を続けるため、とてもうらやましく感じます。

小児科医はその時期の子供たちを担当するので、一緒にその子たちの未来の夢を共有できるみたいで、とてもやり甲斐があります。

20歳代~40歳代にかけてはその活動のピークを迎え、人生における理想や目標を掲げている人たちにとってはそれらを実現し結実させる充実期となります。その世代の健康を守ることも医師の大事な任務だと思います。

50歳を過ぎるといろいろな面で体力の衰えを感じ、自分が下り坂にさしかかった事を自覚させられ一抹の寂しさを感じますが、精神面では若いころには気づかなかった世界観の深まりを自覚でき、気力さえ衰えなければ更なる人生の飛躍が期待できる年代だと思っています。

さらに年齢を重ねるにつれて気力・体力の衰えが進み、命には限りがあることを自覚するようになり、どのように自分の人生の幕を閉じていったらよいか考え、残した子や孫の行く末を心配したり、まだまだ生きていたいと執着してみたりといろいろでしょう。

そのように歴史を重ねて生きてきたお年寄りに敬意を払いつつ、最期まで診させてもらうのも医師の大事な責務だと思います。

このように考えてみると、人々の一生を通して全世代を診ていける「ホームドクター」というものは実にやり甲斐のある仕事だと思います。

私は多少お経を知っているので、患者さんが亡くなった時は心を込めて胸の中でお経を唱えて祈ることにしています。

つい最近父親を在宅で最期まで看取った経験から、一人の人間を最期まで大切にしてしっかり看取る事の大切さとともに、人生の「無常」をも実感しました。

これからもこの地域のホームドクターとして頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願い致します。