No.164 凶悪犯罪に思う

つい先日最高裁判所が、7年前に18歳の少年が引き起こした凶悪な犯罪に対して、2審の無期懲役刑を破棄して審理を高等裁判所へ差し戻す判決を言い渡した。
これで死刑判決が下されることにほぼ間違いはないだろうが、結審に至るまでには更なる長い時間を待たねばならないことになる。
そもそも原告側は何故死刑判決にこだわったのか?被告の元少年が何故無期懲役で「勝った」ともらしたのか調べてみると驚くべき事実が隠されていた。
死刑の次に重いといわれている無期懲役はおよそ20年程度で社会に出てこられるという非常に軽い刑罰なのだそうだ。
日本の法律にはその間を埋める終身刑というものが存在しないのだ。
被告の元少年は反省のまったくみられぬ言動があだとなり、矯正の可能性なしと判断され今回の判決につながってしまった。
死刑判決が下される可能性がでてきてはじめて、今必死に反省・謝罪の手紙を書いているという。それが本心かどうかは誰もわからない。
それから最近の裁判でもう一つ気になるのが弁護士の弁護の姿勢である。
ただ単に裁判の時間の引き延ばしを計ったり、精神鑑定により責任能力がなしとしたり、殺意の計画性はなかったとアドバイスしたりと刑を軽くすることだけの技術に走っているようで、それが更に犯罪被害者・家族をどれほど傷つけていることだろうか。
弁護士側も真実の解明や加害者に反省の気持ちを促す手助けをしたり、刑にきちんと服してその後の更正生活がまじめに送れるように精神的にサポートするのも大事な仕事ではないかと思えるのだが。
今後厳重な罰則を与えるようになればそれなりに犯罪は減ることだろうが、果たしてそれが理想とする社会に一歩近づいたとはとても思えない。
更正・矯正のしっかりとしたプログラムを作り上げ、多くの人材と莫大なお金を投入して、じっくり時間をかけて取り組まなければ犯罪者の人格や内面を変えるという成果はそう簡単にはあがらないだろう。
それらがきちんとやれる体制にないのであれば厳罰化の流れはやむを得ないのかもしれない。何故か重苦しい気持ちにさせられる。