No.174 父の日

6月17日(第3日曜)は父の日ですね。
子育て・育児に参加してくれるお父さん達も昔に比べれば随分増えてきて、外来に子どもさんを一人で連れてくる優しいお父さんもおり、ほほえましく感じます。
一方で、一応子育てに参加しているつもりで、優しげな母親に代わり用心棒のような言動で医療機関に不平不満や医療過誤だといっていちゃもんをつけて凄むお父さんもごくまれですがいます。
それぞれの家庭で父親の存在・在りようはまちまちでしょうが、偶然、ある医師の一文を目にしてなるほどと感心したので、以下にあげます。参考にして下さい。
「私、現在2人の小学生と1人の幼稚園児の子供を持つ父親である。自宅で子どもたちと過ごす休日は戦いの日々である。その休日の日に、子どもを見ていて、これから先どのように子どもたちと接するのが理想的な父親なのか、という疑問をふと抱いた。
かつて我が国は「厳父慈母(げんぶじぼ)」という言葉があり、厳しい父親と慈しみ深い母親という言葉には、父親の持っている社会的責任感と権威を感じていたからだと思う。しかし最近は「甘父干母(かんぷかんぽ)」などというように、父親は子どもを甘やかすようになり、母親は子どもに口やかましく干渉する家族が多くなってきた。我が家も明らかに後者に属すると思う。
子どもは叱られることなど誰一人好まないし、怖い父親より優しい父親が好ましいのは言うまでもないが、甘いだけでは家庭教育としてはいけないだろう。
それでは、父親は家庭内ではどうあったらいいのだろうか?
父親が帰宅すると、家中がひっそり、子どもが散らばっていく家庭よりも、足音が聞こえて「お父さんが帰ってきた!」と活気づく家庭を作れるような父親を目指し頑張っている。仕事の疲れで不機嫌であったり、些細なことで文句を言ったり、いつも上機嫌で臨むのは無理なこととは思うが、「穏やかな表情と言葉」で子どもに話しかける父親になるよう努めている。
父親は子どもより先にあの世に行く。父の死は子どもたちに衝撃と悲しみを与え、そこで改めて父親のことが身近に感じられ、その生涯でのいろいろな場面が思い起こされる。
私も27歳の時、父親を亡くし、思いがけない人から、生前の父親のことを聞いたこともある。親は死亡した後も子どもの心に影響を残すものである。父親が子どもたちに親しまれ、敬意を持たれている限り、その後ろ姿は、やはりいつまでも子どもたちの心に生き続けることだろう」
まったく同感です。皆さんはいかがでしょうか?