NO.63

平成9年5月1日発行

脳死を人の死と認める法案が国会で決められようとしています。
私はこの件については反対の意見を持っています。

その理由の一つは、数年前までは、『脳死の判定基準を満たす患者さんは遅くとも一週間以内に死ぬ』と言われていたのが、阪大救命救急センターの医師が、『ヒトの脳下垂体から分泌される抗利尿ホルモンを上手に使って体の水分バランスを保ってあげれば、脳死状態でも6ヶ月以上『延命?』させる事ができる』との論文を目にしたからです。

このようにある時点で治療の限界と思われていた事が、あとで治療可能になる事は医療の世界ではよくあることで、やがて脳死状態の患者さんへの積極的な治療が発展し、意識が戻る患者さんが将来現れるかもしれないと思うからです。

今回の法案成立はそのような地道な努力の道を断ってしまうことになります。
また脳死の判定を、ある程度大きな病院ですらきっちりとやれるとは限らず、脳死でもなくしかも現在の医療レベルでも回復可能の患者さんまでも治療をあきらめてしまったり、臓器提供をしてしまう恐れがあるからです。

外国の状況をみても、脳死をして臓器を取られるのが主に社会的地位の低い、高額の医療費を払えない人が多いし、もらう側は社会的・経済的に恵まれた人が多いことも気になります。
イギリスでは精神障害者をはじめとしてその患者さんが社会的に有用でない・貢献していないと判定委員会が認定すると、お金のかかる特殊な治療が受けられなくなると聞きます。(腎臓の透析すらです。)

また先の阪大の医師の話を聞き、『脳死体がいくらでも延命出来るのなら、その体に細菌やウイルスを接種して免疫を獲得させて、いくらでも必要なガンマグロブリンやその他の貴重な血液製剤を生産することができるのですばらしい。』という発言をする医師が少なからずいることを知り、その発言の恐ろしさに危機感を感じるからです。

強者のために弱者を利用したり、弱者を処分して効率良い社会経済運営をしていこうとする社会は決して人に優しい、住み心地のよい世の中ではないと思います。