NO.78

平成10年09月1日発行

先日「心理療法士は何をしてきたのか」という本を目にした。
埼玉県では不登校児に対し、ある著名な心理学者の先生の指導の下、行動療法が採用されている。

それによれば行動改善目標を決めて、朝決まった時間に起きられるようにする。
それができたら次は服を着替えて家族を同じ食卓につく。
それがクリアーされるとともかく玄関から外に出て学校の方へ歩く。
そして校門まで歩き、次は担当教師と会っていく等々が決められ、次第に登校に対する拒否行動を減じていくのだそうである。

そんなにスンナリとはいかないだろうが、親や教師にしてみれば到達地点がはっきり目に見えるので、比較的好評のようだ。
しかしここで欠落しているのが、不登校児の内面の変化と成長である。
犬のお手やお座りの訓練とはわけが違う。

体だけ毎日学校へ行くようになっただけで、全てが一件落着と言えるだろうか?
逆に、登校へのつらいストレスをともかく取り除いてあげて、本人を精神的苦痛から開放してあげることが大切、と考える心理療法士もいる。

ただ、そのまま放っておけば自然回復力が働いて、いつのまにか自然に登校しだすというケースはごくまれで、たいがいはそのまま放置すれば昼夜逆転の生活となり、自信のないさえない目をしたまま、あっと言うまに数年が経つことになる。
そして心理療法士はなにをしているのかと、厳しく問われてしまうことになる。

要は不登校児が再び学校へ通うようになるにしろ、それとも学校教育の枠からはずれた所で生きていこうとするにせよ、一番大切なのはそれぞれの場所でそれぞれにあった価値観に基づいて目を輝かせながら、つらくかつエキサイティングなこの世の中にまっこう立ち向かって行けるよう導いてあげられるかどうかが心理療法士に問われていると私には思われてならない。

ところで、あなたの子どもさんはどういう姿勢で生きているように見えますか?
あなたは立派な親(=心理療法士)となれていますか?
そしてあなた自身はどういう姿勢で、どんな目をして今を生きていますか?
ずいぶん重く難しい問題でしょう?
これが不登校の子どもたちに本当に問われている問題で、学校に行く行かないといった形の問題ではないのです。
そしてそれは今社会に生きている我々みんなに問われている問題なんだと私は思っています。