育児の話【父性・父権について】

不登校の子供達を心理外来で診る時、よく原因の一つに父権の無さや弱さが取り上げられます。
ここ数年の青少年のびっくりするような凶悪犯罪を語る時も、決まって子供に対して奴隷のようにそしてびくびくしながら暮らしている母や祖母の姿と、父権の無さがその主要な原因と考えられています。(新潟の監禁事件しかり、宮崎勤事件しかり・・・)
確かに現代の日本の家庭・社会はいまどきの子供達に対して、しつけや育児において自信を喪失してしまい、威厳のある態度を取れないでいるように思えます。
とりわけ父親達が「友達のような親子関係」と称して真正面から子供達と向き合う事に逃げ腰であったり、仕事にかこつけて母親にばかり育児・しつけを押し付けて逃げている傾向が強いと思います。
一方でテレビのコマーシャルで母親が鼻唄まじりに「亭主元気で留守がいい」と揶揄したり、休日の父親を子供の前で「粗大ゴミ扱い」したり、「ちゃんとやらないと将来パパみたいになっても知らないわよ」と言ってみたりのつけが、今回ってきているように思えてなりません。
では小児科医としてこのような状況に対してどう臨めばいいのか考えてみました。
ヒントは人類の歴史をさかのぼること。
人類に最も近い類人猿といえばチンパンジーというのが定説なのだが、猿山のボス争いの下品さを見せつけられると、何やら権力欲で足の引っ張り合いばかりしている政治の世界と同じで失望こそすれ、とても参考にはしたくない。
ここで登場するのがゴリラである。
ゴリラの研究家に言わせれば、人間が先祖返りして学び、取り入れるべきものをゴリラはたくさん持っていると言う。
近くで目と目をじっと合わせても威嚇と感じずに相手の顔をじっとのぞきこみ、それに耐えられる精神的強さを持っている。
オスのゴスボリラ(グループの家父長)は年老いて体力がなくなっても最後までボス(家父長)でいられ、他の若い体力のあるオスゴリラ(息子達)は決して歯向かわず一目おいて接している。
父性に関して言えば、ゴリラの社会では父親は作られたもので、オスは勝手に自分の自覚だけで父親にはなれない。
メスによって長期信頼できる保護者と認められて、子供を預けてもらえる。
そうして初めて、子供に保護者として認められる。
子供達は母親によって父親を紹介され頼りにするようになる。
それ以後は母親は子供を父親に預けて知らんぷりをして、父親の周りで意図的に遊ばせる。
父親はじつに長時間にわたってその圧倒的な強さと包容力によって子供達の相手をする。
子供達のけんかを仲裁したり、自分の力を巧みにコントロールして強い子供、弱い子供の力量に合わせて相手をする。
子供は父親に安心して頼ることができるし、父親のところに行けば父親を介して他のどんな子供とも対等に安心して付き合える。
母親がまず父親をいかに信頼しているかを子供に示し、そして子供がなついて信頼し、次いで父親がプライベートにではなく、社会的に広い視野で規範を教える。
どうです。
家族のありかた、父性の発揮の仕方の原形があrと思いませんか。
人間が忘れかけている上品さをいくつも身に付けているように思いませんか。
ゴリラの研究を通じて、新しい育児学が見つかるかもしれません。
本当に人類が万物の霊長ならば、もう少しまともな社会に変えたいものですね。