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げんき便り9月号

皆様現在は、どのようにお過ごしでしょうか。

新型コロナウィルスは今までに経験した事のないかなりしつこい感染症のようですね。感染拡大の予防対策と経済活動の促進というアクセルとブレーキを両方踏みながらの危ない難しい経済生活が求められているようです。

私は今コロナと似たような間質性肺炎の治療、療養中ですが今、様々な思いが頭に浮かんでいます。
8月号に続いて医学部合格後に私の胸の中で繰り返し浮かぶ思いをここに述べます。
ある意味医者人生の総括みたいな事をです。

早稲田大学在学中に思いきって医学部受験をして合格し、私は改めて新しい生き方をしようと決心し、必ず患者さんの立場に立つような医師になりたいと思い、早速医療被害者の支援や障害者やその親達を支援する決心をしました。
ただその中には世の中を恨んだり敵対視する組織もあり一言で、支援と言ってもなかなか大変な事も実際に関わってみて分かりました。

そうこうしているうちに自然と自治会活動の一環としても関わらざるを得なくなり、いつしか自治会の委員長になってしまいました。
クラス討論を開き学生側の様々な意見や要望を聞き、それを全ての教授達に会ってぶつけて、その反応を持ち帰りまた議論するという作業を地道に繰り返して、たった一単位でも落とすと翌年は全ての単位を又取り直さなければならないという理不尽な「学年制留年制度」を廃止して落とした単位だけ取り直せば良い事に改善して貰いました。

また授業のカリキュラムにも学生の声が反映出来るように、学生のカリキュラム委員会への参加を教授会で認めさせました。
また群馬県内の防衛大学校の受験生に向けて進学校の生徒会の顧問の先生にお願いして受験拒否のアピールをさせていただき全国では初めて受験生「ゼロ」を実現し入試を中止に追い込みました。

その頃は中国では毛沢東による文化大革命がおこなわれていましたが、私はむしろ赤軍派によるハイジャックで亡命した北朝鮮という国と金日成と言う人物に興味が湧きました。
丁度その頃に北朝鮮の革命思想と言われるチュチェ思想の勉強会に誘われて参加してみる事にしましたが、自治会活動をはじめ様々な事に役立った気がました。
卒業して間もない頃には1カ月程北朝鮮から招待され、行くか断るか散々悩んだ末に、医師国家試験に向けた自作のメモ帳を持って行けば大丈夫と思い、行く事にしました。

しかしながら招待のお礼の為に「文芸活動」と言う即席の作詞作曲の歌を歌ったり、シナリオを作り寸劇を演じたりと毎日が大変で、国家試験の為のメモ帳を見る暇もありませんでした。平壌は見かけ上は首都としてはあまり遜色はありませんでしたが、私の乗ったベンツの車列が10台も走ると道行く人や田や畑で働く人達が作業をやめて沿道に出て来て手を振ったり敬礼をしてくれます。まるで自分がとても偉くなったような錯覚を起こしそうになりました。エンジンが焼けたのか、エンストを起こし水蒸気を吹き上げている車があちこちで見られ、その荷台には大勢の労働者が乗せられていました。

デパートには多少の外国人観光客がいましたが、ほとんど買いたいようなものも無く、見かけだけのような陳列にみえました。電力事情も良くないようで頻繁に停電が起きていました。夜になり遠くに見える住宅の灯りが蛍光灯ではなく裸電球でしたので少なくとも日本より20年以上は遅れていました。
私は通訳の男性になんでも感じた車を正直に言ってましたが、「貴方のような方がいて日本人民は幸せですね」と言われました。
私の持っていた日本製のボールペンをプレゼントしたところ大変喜んでくれました。

日本に帰ってから横田めぐみさんがその時には既に拉致誘拐されていた事を知り日本人としてとても悔しく思いました。その後東京大学の小児科の医局に入ったところ、先輩達はなぜか私の事をよく知っており、「君が一声かけると都内の自治会関係者や新聞会関係者達が200人は集まるらしいね」といわれました。

確かにそんな事もありましたが、そんなに有名になっているとは知りませんでした。チュチェ思想研究会の関係で北朝鮮の革命映画を上映したら反響を呼び200人以上の観客が観に来てくれた事がありましたのでその事かもしれません。
入局後生まれて初めて点滴や採血をしたところ不思議といつも必ず一回で入り、自分がとても器用な事を知りました。患者さんや付き添いの親や介助の看護師さん達は皆たいそう喜んでくれました。

また人工呼吸器を着けて、いつも汗ビッショリにして泣いてばかりの子の前で、沢田研二のTOKIOを歌って踊ると、足をトントンとリズムをとりながら笑ってくれるのが有名になり、病室で「歌って踊るドクター」と呼ばれるようになりました。
その後地方の関連病院では様々な難しい問題を抱えた子ども達を特別に選んで、海や山へとキャンプに連れて行き、子ども達の変化や反応に驚かされだものです。拒食症の子が突然食べられるようになったり、ヒステリーで歩けず車椅子生活の子が突然歩けるようになったりとです。

国立小児病院の神経科にいた頃は原因もわからず病名も付かず、飲む薬も無い神経疾患の患者さん〔ある種の吹き溜まり疾患の子ども)は結局最後は板橋にある整枝療護園と言う施設に紹介される子が多かったのは知っていましたが、その様な子がいつの日か車椅子に座っていられなくなる程身体が硬直してしまい、患者さんを車椅子に座れるように体の関節、靭帯を緩める手術の麻酔科医の助手としてそこで手伝った事があり、その御縁によりベテランの優秀な理学療法士さんを紹介して貰い、行田の地で開業するにあたり障害者や親達の為にリハビリの場を作ることにしました。そうする事で患者さんや親達が丸1日潰して都内までわざわざ行かずに済んできっと喜んでくれると思ったからでした。

あれから早いもので30年にもなろうとしていますが、そろそろ年内限りで障害児リハビリを閉じたいと思います。
何事にも始めがあればいつか必ず終わりがあるのがの常だと思います。
これまで当院のリハビリをご利用の方々には感謝すると同時に申し訳ない気持がします。私のこれまでの医者人生は一言で言えば「義を見てせざるは勇無きなり」でした。それだけは今迄少なからず実行出来てきたかなと思います。外来復帰迄まだまだ時間が掛かりそうですが皆さま、今大変なご時世ですが、くれぐれもお元気でお過ごし下さい。 
             
      院長

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