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げんき便り4月 271号 虐待をめぐり見守り、見守られる

最近「虐待」について年間発見件数の発表をインターネットで偶然目にしました。私が医師になりたての頃はおよそ年間千件に満たない程でしたが、今や9万件になりました。当時主な原因は経済的貧困のせいで心に余裕が持てないからと言われていましたが、日本もこれだけ物質的、経済的に豊かになり、「衣食足りて礼節を知る」時代になってきたはずなのに何という事でしょう!心の問題だと思えてなりません。

私は医師になって3年目の国立小児病院勤務時代に、前の晩に低血糖、意識障害で入院した被虐待の子を受け持つ事になりました。

彼は5人兄弟の末っ子でしかも未熟児として生まれ、保育器で育てられたせいで親が全く面会に来ずにそのまま乳児院に引き取られました。

やがて東京都の担当者が「いつまでも税金の世話になるな」と、強制的に自宅に引き取らせたそうです。しかし母子共に愛着が生まれず、子は親に懐かず、親は子を可愛がる気持ちが沸かず、やがて兄弟や両親たちから疎んじられ、食事は少しばかりのお粥だけ、寝床は洗面所の流し台の配管パイプを抱くようにして寝かされていたそうです。

これはわずか3歳の子供の頃の彼の記憶によるものです。(その様な親でも後に父親の死を伝え聞いてお線香をあげに行ったと聞きました。偉いものです。)

私が病室で初めて彼と対面したとき「僕○○○○(名前)、3歳です」と言ったのを覚えています。その時の彼の体重は10キロにも満たない1歳並みでした。

彼は毎回出されてくる食事一つ一つに感激しながら「これは何?あれは何という食べ物?」と聞くのです。そして次の食事は何だろうと楽しみにして過ごし、たちまち1カ月で20キロになったほどです。

また当時同じ病棟の看護師であった今の妻と一緒に初めて後楽園遊園地に外出した時、渋谷に向かうバスの中から外の街並みの景色を見て、「あれは何?これは何?」と質問攻めに遭い、これまでの彼の生活や想いを想像し、涙にくれたのを思い出します。

4歳の時結局自宅に帰すことも叶わず、児童養護施設に入ることになりました。その後もずっと面会を続け10歳の頃彼は学級委員長に選ばれる程立派になり、面会を辞めても大丈夫と思ったのですが、ベテランの男性職員に18歳に施設を出てからが本当の勝負で、

「孤独」を改めて実感した時に多くの人間はわざと自分の人生をダメにする行動をとるのだと聞き、一生この子の人生を見守っていこうと思い今に至っています。

もの心がついた頃に食べ物を満足に与えられず、一生のテーマが「食」となったのであろう彼は調理師の免許証を取り、しかも高校3年生の時、都知事賞を貰いそのご褒美に横浜の中華街の有名店に住み込みで働ける事になりました。

しかしそのお店が火事で全焼してしまい、職を転々する中、さいたまスタジアムでの浦和レッズ戦の応援で偶然隣り合わせた人と結婚することになります。付き合いだしたきっかけは試合終了後黙々と自分の周囲のごみを拾い始めた彼に偶然隣に居合わせた彼女が感動して声をかけたとの事。しかも彼女は女ばかりの姉妹で、父親は食堂を経営しており、いずれお婿さんを迎えたい思いがあったとの事。お付き合いをする中、彼女の自宅の近くの立派なホテルのレストランの調理師として働き始め、彼女の自宅の食堂を休日に手伝っていたのですが、最近ホテルを辞めて彼女の実家の食堂を本格的に継ぐ事になり今頑張っているようです。

彼とは35年もの付き合いになり、ずっと私なりに彼の人生を大切に見守ってきましたが、よくよく考えてみると私も何人かの人生の先輩・恩人たちに見守ってもらってここまで生きてこられたのだとしみじみと思い浮かび、幸せに感じています。

院長

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