げんき便り 2014年5月号 子どもの頃の思い出すこと そして今

小児科医を長年やっていると、「さてこの患者さんと同じ年の頃の自分はどんなことを考えたり、感じていたりしていただろうか?」と思い出すことが多々あります。

今年もまた「こどもの日」を迎えるに当たり、小学生と中学生の頃の担任の先生の事を懐かしく思い出します。

小学校4年生から6年生までの3年間は、若くてとても優しい男性の先生が担任でした。とても泣き虫で、しかも怒りん坊で、非常に感情が豊かで熱血な先生でした。

いつも休み時間にはドッジボールをやって一緒に遊んでくれましたし、国歌である「君が代」の歌詞の本当の意味を決して子ども扱いせずに真剣に教えてくれましたし、近所を流れる多摩川が大企業の工場排水の垂れ流しで汚染されて、公害として大問題になっている事とかをきちんと教えて下さいました。

親たちからは随分批判されていたようでしたが、私は心から信頼し、尊敬もしていました。お勉強がよくできるからといって決して自慢するのではなく、またできない子を馬鹿にするのではなく、自分自身を高め、人格をよりよく磨くために学問を積んでいくのだよと教えて下さいました。また正義感を抱いて生きていく事の大切さも教わりました。

中学生の頃の3年間は背筋のシャキッとした背の高い飄々とした風貌の国語を専任とした中年の先生が担任でした。

中学校ではすべての科目が専門の科目に分かれていて、一人ひとりの先生が違う科目をとてもしっかりと教えてくれるのに感心したものでした。

担任の先生は古文・漢文が専門で、徒然草が大好きで、兼好法師のお話を面白おかしく聞かせて下さり、私も大の古典ファンになり、今でも平家物語の朗読を聞くのが趣味です。
仕事で熊谷市の近くに住む事になった訳ですが、熊谷駅前の熊谷次郎直実の銅像を初めて見たときは、体に電気が走るのを覚えました。

高校時代に古文の教科書で「敦盛の最期」という文章に出会い、熊谷次郎直実が実の息子「小次郎」と同じ年齢と思われる平家の若武者の命を一度は助けようとするも、結局最後は泣く泣く首をかき切った話に涙を流した記憶があったからです。それほど平家物語のこの物語の下りは大好きです。

これら2人の恩師には結局医者になってから、お礼の手紙を書いたのですが、直接お会いする機会もなく、お二人とも若くして癌で亡くなってしまわれたとの事でした。

今では逆に20年、30年も前の患者さんからお礼の言葉を頂くようになり、まるで小児科医である私も子どもを相手にした学校の先生のようだなと感じる今日この頃です。

院長