げんき便り 2014年7月号 開業23年の今思うこと

開業生活も23年経つと色々と大変な事がたくさんありました。

このたびげんき便りが252号を迎え、ついつい力が入り、長文になってしまいました。

開業時、融資を受けた銀行からは何と「医師会のお偉方への挨拶回り」を促されました。そしてある医師宅では広いリビングに製薬会社のプロパーがたむろしており、皆さんコーヒーを飲んだりパターゴルフをしたりして、昼間から油を売っているのにビックリです。こんな医者と製薬会社との癒着は許されないのでは?と憤慨したのを思い出します。

しかもそのドクターに「行田医師会の当面の課題は何でしょう?」と私が問うと「何もしない事!」と答える有様でガッカリでした。

しかも初参加の医師会のパーティでは、その先生を含めて数人のドクター達に取り囲まれ「君は何で医師会の敵である徳州会病院なんかに勤めたのだ!」と恫喝を受けました。私は「病気に休日も祝日もないからです!」と答えたのを覚えています。その時から「いつの日か年中無休を診療所としてやってやるぞ!」と決意しました。

私が徳州会の病院に赴任したのは当時の東大小児科医局の方針でした。大学にとっては野戦病院の様に患者さんでごった返す病院は新人ドクターの研修にとって貴重であり、そのような関連病院が欲しかった事。徳州会にとっては東京大学小児科というブランド名が欲しかったのだと思います。

私は医局の命(めい)で徳州会病院に派遣される最初の医師として赴任しました。そして羽生病院が北埼玉地域の小児医療の中核となるよう、いずれ大学から小児科医を3〜4名派遣して貰い、地域の中核病院にしたいと思っていました。

しかし徳州会は小児科医をそこまで増やす気はなかったようで、単なる「人寄せパンダ」と思っていたようです。

ある時徳之島の病院見学に誘われて初めて徳田虎雄理事長とお会いする事になったのですが、「羽生病院は今後このような病院にするべきでは」と私が意見を述べると、「羽生なんてちっぽけな地域の話ばかりするな!徳州会はこれからロシア・中国へと世界展開するのだ!君はいずれそこの院長になるのだから」などと唖然とするような事を述べたてました。

周りのお付きの人はただオロオロするばかり。私は「彼は躁病患者か、誇大妄想家であり、こんな人物をトップに抱くのでは徳州会の未来は危ういのでは?」と考え、大学医局の了解を得て、間もなく羽生病院を辞めさせて貰いました。

そして「いずれ自分の力で理想の医療を開業医としてやり抜こう!」と決心したのです。先に述べた「この地域のボス的な医師」はその後予想通り医師会長に収まり、常会の席で「君は金もうけのため日曜診療を始めたのか?」とまるで侮辱する様な発言をしました。「誰もが自分と同じ発想をすると思うな!そのような失礼な発言をする人間を医師会長として認められない!直ちに医師会長を辞めてしまえ!」と言い返しました。

やがて医師会が行っていた日曜診療所は無くなり、市内の2つの総合病院がそれに代わって「行田市と医師会のお墨付き」で補助金を貰い日曜診療を交代で始める事となりました。

私は5年前に市長さんにお会いして「北埼玉の医療状況の問題点及び開業医として日々困っている事」を訴え、改善を求めた事があります。すると直ぐに医師会長から不愉快そうに「医師会を通さずに勝手に市長に会ってくれるな」と言われました。私はそこまで医師会長から指示を受ける謂れはないと思いました。

その1年後、気を取り直して再び市長さんに「この地域の小児科のベッドを持っている病院小児科が開業医の入院依頼に対して簡単に入院拒否をしていて困っている事」、「その為毎日小刻みに外来を行い、点滴治療を行って繋いでいくしかなく、夜間に親達が心配なら自分の携帯番号を教えて24時間対応をしている実情」や「行田市としてここ数年間のげんきクリニックでの日曜・祝日・年中無休の実績を認め、評価して頂きたい」旨を訴えました。市長さんの返事はただただ「困ったな!」「医師会理事会の了承を取り付けてくれ!」と言うだけでした。

また「市内の小児科医達で懇親会を開き、市長も参加して親睦を深める会を設ける事」や、「市内の乳幼児健診に占める小児科医の参加比率が極端に低過ぎて、若いお母さん達のママ友メールで大きな話題になっている事」を取り上げ、私が医師会に入会して20年で初めて「小児科医会」なるものを開いて戴きました。

しかし年配の小児科のドクターからは「何科の医師が健診をやっているかなんて親たちは関心ないだろう!」という発言が飛び出す程ひどい認識でした。実は「今日の健診のドクターは○○先生で、小児科医じゃないのでハズレ!今日は○○先生だからアタリ!」とお母さん達の間では驚くようなメールが飛び交っている事を諸先生方達はご存知ないようでした。(私もある親から聞いて初めて知ったのですが…)結局私は年4回から、翌年8回にそしてさらに15回と他科のドクターに配慮したのか、少しだけ乳幼児健診が増やされました。

また行田市から「10ヵ月健診を増やしたい」と要望されましたが、小児科医会の話し合いで「皆さん忙しいので請け負えない」との結論でした。やるべきと主張したのは私だけでした。私は乳幼児健診の事もあり金曜日の午後は休診にして、いくらでも請け負えるようにしたのですが、私だけ健診をやり過ぎると他の会員から苦情が出ると言われました。

他にいずれ市内2つの「総合病院」だけでなく当院のような「診療所」でも「日曜・祝日、お盆休み、年末年始を年中無休で対応している事を再認識して、実績を認めて貰える」よう理事会で諮って貰えるよう医師会長にお願い致しましたが、未だに取り上げてくれません。たとえ少額でも市から補助が貰え、年中無休の診療を行っている事を認知して「休日当番医として新聞にも載せてもらえる」ようになれば有難いのですが…

これはお金の問題ではなくこれまでのげんきクリニックの取組を、行田市や行田医師会がどう評価してくれるかの問題だと思っています。

当院では金曜の午後の外来を休診にするだけで数百万円の減収です。そして「もうけ主義だと医師会長から批判された医療機関」が、どうして市からのほんの僅かな補助金をもらって大喜びしたり、逆に市内の児童養護施設や知的障害施設等に何百万円も寄付をするものでしょうか?(これは毎年度収支が黒字である限り続けていくつもりでいます)

また昨年の1月3日には桶川市からはるばる受診に来られた重症患者さんがいました。実は年末年始で受診できる医療機関が見つからず、岩槻の埼玉小児医療センターに電話をして助けを求めたところ「行田市にある南川げんきクリニックにかかりなさい。あそこなら毎日診療していますから…」と教えてもらって来院したとの事でした。

お膝元の行田市や行田医師会からは冷たく扱われているのに、はるか離れた岩槻の埼玉小児医療センターでは「げんきクリニックを認知してくれている」事を知りとても嬉しく思っています。

ところで毎日緊急の患者さんを診療していると、その時々の病状を素早く把握できる「血液中の白血球数やCRP(炎症反応の強さ)の迅速診断機」を導入する必要に迫られました。しかし数百万円もする高額な医療機器を導入しても、小児科の保険制度では「定額制」なので、いくら必要な検査や点滴をしても保険請求をできず、採算が取れない仕組みになっているのです。

それでもお困りの患者さんや緊急の現場に立たされる私のような医師にとっては安心出来て、とても重宝な検査機なのです。今では導入を決断して本当に良かったと思っています。

いずれ県知事にも何とか面会させて頂き、「北埼玉に於いて開業医からの入院依頼を受けた病院は決して拒否せずまず受け入れる事。それでもその病院で対応が無理な時はより高次の病院へ責任を持って紹介するよう行政通達を出す」旨をお願いしたいと思っています。

なお8月から毎週月曜日の午前・午後に女性の福島先生(小児科専門医で内科の経験もあるドクター)に診療をお願いする事になりました。とてもキャリアが立派で安心してお任せできる方です。私も適度に体を休める事が出来て、更にパワーアップして今後の診療に邁進できると喜んでおります。是非ご期待下さい。

院長