大先輩から自分の老後を考える

最近卒業大学の機関紙を読んで感心したことが2つもありました。

私ももう少しで63歳になり医者生活も30数年となり、人生もだいぶ終盤に差し掛かってきたと感じていました。そんな時群馬大学卒業第1号の女医さんのエッセイが載っていたのです。

その方はNHKドラマ「梅ちゃん先生」のような時代に、東京女子医大の創設者である吉岡弥生先生にあこがれて女子医大予科に入学し、2年後新設の群馬大学に入学されたそうです。当時学生数58名中女子は1人きりだったそうです。

私の頃も1学年100名中女子学生がたった4名でしたが、今では45名程いるようで、改めて女性の社会進出を実感します。

彼女はインターン時代聖路加病院で日野原先生にもお会いしたそうです。そして昭和32年に東大の小児科に入局されたそうで、東大小児科の医局の名簿を調べたところ確かにお名前が載っており、大先輩の後を私も20年遅れて辿っていたことになります。

今彼女は80歳ながら開業医を続けながら幼稚園園医、小学校校医そして重度心身障害児施設にも半日勤務され、今も活躍中だそうです。頭が下がります。

息子さんのお嫁さんも女医さんで孫娘が女医となって親子3代が女医となるのが夢だとおっしゃっています。

あと10年もしたら娘や息子に小児科を継いでもらってご隠居生活を夢見ていた私には衝撃でした。

更にページを読み進めると、88歳・米寿の大先輩達の前橋医専1期生同窓会(昭和23年卒)の記事が目に入りました。まだ存命の方33名の中、体調不良やホームに入っていて出席できない方が16名、どうしても都合がつかない人が6名で、出席者が6名だったとの事でした。

お写真を拝見するとみなさんとてもお元気そうで、今でも診療は皆さん少しながらも続けているとの事で、ただただびっくりです。

私も頭と体がしっかりして周りの人に迷惑をかけない限りは、あと10年は社会とつながって最期のご奉公をしたいものだと思いました。

そしていずれ老人ホームの嘱託医か妻と一緒に訪問診療でもやれたらいいのだが、なんてジジ臭い事を考えました。

それと何よりも娘と息子が早くげんきクリニックを手伝ってくれる事を今は夢見ています。その時はみなさん宜しくお願いいたします。

院長