2016年2月号 「成人になる事と自己責任」

今年の成人式のニュースを見て若い人達に人生の先輩としてひとこと言いたいと思います。

お酒が入っていたり、目立ちたいのか、日ごろのうっ憤を晴らしたいのか分かりませんが、相変わらず式典の会場で騒ぎ暴れたり、壇上に上がって式を妨害する青年たちが目につきました。大部分の成人達はとても真面目で、ほんの一握りの人達だけなのかもしれませんが、子供じみていて、社会に甘えているように感じました。

今年から18歳で選挙権が与えられます。それに伴い少年法の改正で、厳罰の年齢が引き下げられ、更生を期待して見守るより、きちんと責任ある大人として「刑に服してもらおう」という流れになってしまった様に感じられます。私はさらに進んで、彼らに「きつい労働やボランティア活動を義務化し、その労働の対価を社会の弱者に還元させる」事を提案したいと思います。

人間は物心がつく頃になると、反抗期を迎えますし、どのように世の中で自分の存在を主張し、自分の能力をどのように発揮して生きていくべきかと思い悩むと思います。でも自分の人生は自分自身が「演出家・監督」にでもなったような気持ちで色々と悩みつつ独自にアレンジして作り上げていかねばなりません。

人生は瞬間、瞬間が初体験の連続で戸惑う事ばかりで、その都度大事な決断を強いられます。またいくつもの決断を同時に迫られ、優先順位の選択もしていかなくてはなりません。

またその結果について、他人のせいにしたり、言い訳で自分自身を正当化したり自己保身ばかりしていてはちっとも人間として進歩できません。あまりに自己中心的になってしまうと、独善的で傲慢でわがままな人として周りから嫌われて孤立しかねません。

常に自分を取り巻く人達の立場に気持ちを置き換えて考えて行動するようにすれば他人の気持ちを察する事ができて、より良い人間関係が築けるはずです。時にはきっと誰かが困った時助けの手を差し伸べてくれる事もあるはずです。

「自己責任」と言う事で次のような言葉に出会い、全くその通りだと思い、書き留めていた一文を紹介します。ある祖父が可愛い孫に常に言い聞かせて、それをそのお孫さんが自分の人生の指針にしたものだそうです。

「神様はいつもお前の味方だ。都合の悪い事や嫌な事が起こっても「運が悪い」と片付けてはならない。神様がみんなお前の為にやってくれているんだ。だからすべてを認め、どんな現象からも逃げてはならない。現実から目をそむけて、起きた事を起きなかった事にする事にはできないんだよ。「起きた事は全て正しいんだ」。
この出来事から神様は何を伝えたかったのかを考えなさい。どんなときも言い訳をしてはならない。たとえ不運だったとしても、自分が悪くなくても、自分ではどうしようもなかったとしても、起こった事を全てにおいて責任を持ちなさい。
責任を取る事がお前の成長へとつながる。自分は何をするべきだったのかを反省し、学び、これから何をすべきかを考え、行動しなさい。「起きた事は全て正しい。」言い訳をせずに何かを学ぶ。すべての結果に責任を持つ。他人(周りの人)の責任にしない。」

どうでしょうか?

院長