NO.112

平成13年10月1日発行

アメリカで信じられないようなテロ事件が起きましたね。
アメリカ国防省や世界貿易センタービルにテロリスト達が乗客もろともジャンボ機で突っ込むという、およそ考えられない方法が取られ、6千名もの命が一瞬のうちに亡くなりました。

しかしテロリズムという最も卑劣で残虐な行為にもかかわらず、繰り返し報道されるテレビの映像はあたかも映画の1シーンのようで、実感の沸かないものでした。
むしろ対岸の火事は派手なほど野次馬の心を興奮させるもののようにさえ思えて、自分自身ゾッとして反省しました。

そして子供たちの心には果たしてこの事件はどのような影響を与えたのかとても心配になってきました。
それでなくともテレビゲームの世界では激しい格闘、殺戮と破壊が日常的に行われており、それが現実の社会でも実行に移す人たちがいると知ったら、興味を持ち真似をしてみようとする子(大人も)が出てくるとも限りません。

以前神戸で酒餓鬼薔薇聖人と名乗ったバラバラ殺人事件に関連して、著名な文化人と10代の少年達とのテレビ討論で、「何故人は人を殺してはいけないのですか?」という質問に誰も明確に答えることができず問題になったことがありました。

しかも冗談やふざけではなく真顔でそのような人間社会の「定理・常識」のような事までも分からなくなった世代が出現したということで、もっと深刻な問題であると騒がれていた事を思い出しました。

生き物は食物連鎖のなかで、お互いを食べ物として一定のルールに基づいてバランスを取りつつ「殺生」を生きる為に行っており、人もその中で様々な生き物を「殺生」して生きています。
人が人を殺すことはそういった連鎖とは根本的に異なり、寿命か病気、そしてやむを得ない事故以外で死亡する以外は他人から勝手に自分の人生を終わりにさせられてしまうことを誰も願わないであろうし、誰もそうする権利を持たないというのが私の考えです。

今回のアメリカのテロ事件の反応として「復讐」「戦争」「やられたらやりかえす」という言葉が飛びかい、日本もあわてて憲法を超えて軍事協力をとなえていますが、また子供たちから「なんで生きものとして生きる為以外に、殺し合いをするの?」「なんで人は戦争という大規模な殺し合いをするの?」と真顔で聞かれそうです。

我が家では、難しいけれどパレスチナ難民の発生と、イスラエルという国ができたいきさつ、それにアメリカがどういう役割を果たしてきたかを話し、次に化石燃料(石油)がとれる砂漠地帯に住み、大金持ちになったごく一部のアラブ人(王様)と大部分の貧しい人たちの存在があること。その一部の金持ちのアラブ人もアメリカの多国籍大資本の思うが儘に動かされて自分たちの国をうまく発展させられないいらだちがある。
そんな雰囲気の中で今回のテロ事件が起きていることを教えたいと思っています。

もちろんそういう思いをテロリズムという行動で憎しみやうっぷんを晴らす人達を許してはいけません。
不平等な社会のしくみを少しづつ変えていきながら、異文化・異宗教の違いをこえて理解しあい仲良くしていきたいものです。