NO.123

平成14年10月1日発行

9.11ニューヨーク飛行機テロから早いものでもう1年経ったのですね。
アラブ社会とキリスト教社会との宗教対立の側面もかいまみられて、どちらの側の被験者もお気の毒で、それにしても「正義」とは立場によっていろいろあるものだと考えさせられます。
そのうちアフガンに続きアメリカ軍によるイラク攻撃イスラエル・パレスチナの争いが激化して白人国家対アラブ民族国家の対立にエスカレートしないかと心配になります。

日本においても日朝国交正常化交渉が始まりそうですが、北朝鮮による長年に亘る日本人拉致の事実が本当であったことが判明し、若い年齢にもかかわらず多くの日本人の死亡が発表され、本当に残念であり悔しい思いがします。
このケースに於いてもそれぞれの立場の違いによる「正義」の使い分けがされているように感じてなりません。

かつて日本による朝鮮への植民地支配の時代には日本軍のために何十万何百万もの普通に生活していただけの朝鮮人が殺されました。
今回は普通に平和に生活していた日本の青少年が突然誘拐され貴重な人生を奪われてしまいました。
片や日本人による軍部の独裁、片や共産主義を名乗る個人・党官僚による独裁によって何の罪もない人々が虫けらのように扱われて殺されていってしまうことの理不尽。

とりわけ労働者・庶民・人民の味方と「正義」の御旗を掲げている民主主義人民国家が実は他国の庶民を見下しているのと同様に自国の人民に対しても飢え死にの危機に陥らせ、共産主義の偉い官僚たちは庶民とかけ離れた贅沢で安全な生活をしているこの現実。

若い頃一時本気になって共産主義による理想的な社会の実現を夢みたことのある私としては、とても許せない気持ちでいっぱいです。

うその「正義」を信じ込まされている、もしくはうすうす分かっていてもその権力機構の中でじっと黙り続け、チャンスがあれば国外へ亡命しようとしている庶民の姿が目に浮かびなんとも複雑な気持ちでいっぱいです。

今の日本の資本主義社会もけっして理想の「正義」を実現できる社会と胸を張って言える社会体制とも言えないし、どんな「正義」が一番いいのか私にはよく分かりません。
ともかくまじめに誠実にこつこつ努力する人が幸せになれるような社会がいいですね。戦争反対。民族対立反対です。