NO.167 飲酒運転とズルして平気な社会

今、全国的に飲酒運転が問題になっています。
数年前に東名高速道路で飲酒運転のトラックに後ろから追突され幼児2名が焼死してから、危険運転致死傷罪なるものが新設されたのですが、逆にひき逃げ事件が激増したそうです。
事故を起こした場合、すぐに通報したりけが人を救助するのが人として当たり前の行動と思っていましたが、実際にはその場から逃げ去り酔いを醒ましてから出頭したほうが数倍罪が軽くなるからだそうです。
そうしたことがいつの間にか世の中の暗黙の常識になってしまっていたさなか、福岡で、酔った若者が運転する車に後ろから追突され、橋から車ごと転落して今度は3人の乳幼児が溺れて死亡する事故・事件が起こりました。親は何度も川に潜り、必死に助けようとしたそうですがだめでした。
そんな一刻を争うときに犯人の青年は酒酔い運転の発覚を恐れて現場から逃走し、友人に身代わりを頼んだり大量の飲料水持参させて飲んでアルコールの呼気濃度を必死に下げようとしていたそうです。
車を運転しながら飲酒するお客を注意できない飲食店も、一緒にお酒を飲みながら注意しない同僚も今ではともに飲酒運転ほう助罪で罪に問われるように法律が改正されています。
テレビでは毎日のように、飲酒運転による事故や取り締まりの報道がされていますが、不思議なことにそれでもお酒を飲んで運転する人はなくなりません。取り締まりをする側の警官まで飲酒運転して職場に出勤して捕まる始末です。ちょっとの距離だからとか、ちょっと飲んだだけで自分は判断を誤るほど酔っていないという意識があるのだと思います。
今後は自動車メーカーも製造責任の関係上、運転する際呼気アルコールをチェックしてからでないとエンジンが繋がらない車を開発するようですが、それまでにどれだけの被害者が出ることでしょうか。
今偶然にも『うそつき病がはびこるアメリカ』という本を読んでいるのですが、その本のはしがきに、「いまやアメリカではあらゆる人がうそをつき、ズルをしている。罪悪感はほとんどない。理由はただ、“みんながやっているから。”そうしないと生き残れない、極端な競争社会になってしまったのだ。アメリカの精神の喪失を浮き彫りにした問題作。」とある。
長い歴史と文化の伝統あるわが国が太平洋戦争後、アメリカのような物質的豊かさを追い求めてきた行く末が、今回の蔓延する飲酒運転にも大いに関係しているように思えてなりません。