NO.76

平成10年07月1日発行

もうすぐ学校は夏休みになりますが、先日「学級崩壊」というドキュメント番組を見てびっくり。
ある小学校の1年生と6年生の子ども達が次第に担任の言うことを聞かなくなり、授業中平気で歩き回ったり、トイレに立ったり、先生を無視しておしゃべりしたりして授業が成り立たなくなる。
けんかや乱暴も絶えず、担任の先生を中心としたクラスのまとまりが無くなってしまう。
そんな現象が近ごろ全国の小・中学校で増えて来ているそうだ。

そういえば10数年前、不登校児に関連して北海道のある高校に数回足を運んだときにかいま見た授業風景も、それにそっくりであった事を思い出した。
最前列の数人だけが黙々とノートを取っているが、残りの大半は弁当を食べるもの、紙飛行機を飛ばしたりボールを投げ合うもの、教師に背を向け堂々と大声でおしゃべりをする者。そして教室の中や廊下を自由に出入りして歩き回る者。
かなりショックな光景だったが、あきらめ顔の教師曰く「まだ学校に来るだけまし。こんなの底辺校では当たり前。」
教師連は毎日地元商店街や住民からの苦情処理や家庭訪問でクタクタ。
通勤拒否になって辞めていく教師は数知れず、とのことだった。
そのようなことが底辺校でなくても、ごく普通の初等教育の世界にまで拡大してきているということのようだ。

どうしてこのような事になってしまったのだろうか。
私の年代は一言で言って「戦争を知らない子ども達」であった訳だが、それに加えて今の子どもは「畏れを知らない子ども達」と言えないだろうか?自然に、社会に、父や母・祖父母に、そして人間の命に対し恐いもの知らず。
どうしたら彼らに「畏敬の念」みたいなものを教えられるのか?

「父性の欠如」それが問題のように思えてならない。
先日の父の日にちなんで、ある幼稚園の女性の園長先生が次のような文を書いていた。

父性の復権:
1:父よ胸を張れ。
2:魅力のある父親は、強く逞しい父親である。
3:優れた父親は幼いからといって大目に見ない。
4:父自ら礼節を教えよ。
5:男の子には勇気を、女の子には恥じらいを。
6:遠い道を歩かせよ、高いところに連れて行け。
7:子どもの欲望の全てをかなえてやってはならぬ。
8:作る喜びを与える親でありたい。
9:時折子どもの相手をしよう。
10:子どもの優しさを大事にしよう。
11:家庭は愛を学ぶ場所である。
12:本を与えよ、本に親しませよ。

いかがですか。