NO.97

平成12年6月1日発行

ここ最近、背筋の寒くなるような凶悪な少年犯罪が目立ちますね。
いつの間にどうしてこんな世の中に日本はんってしまったのだろう?と誰もが思っているに違いありません。確実に日本の犯罪形態はアメリカのあとを追いかけているように思います。

「人間を殺す体験をしてみたかった。」とか「誰でもよかった。幸せそうにしているのが気に入らなかった。」とか、およそ第三者にはとても理解できないような理由を彼等は一様に挙げ、しかも反省の態度も言葉も見られないのが特徴です。そしてとても残忍なことを平然とやってのけることができます。

「まだ子供だからとか、精神に何か異常があるから仕方ないとして片付けることは許せない、もはやこのまま放っておくわけには行かない」と思わせるところまで世の中の人々の怒りは達しているように思われます。「少年法を厳しくする方向に改正するのもやむなし」という風潮にまでなってきています。

アメリカ映画で「ダーティ・ハリー」というのがあって一匹狼のすご腕刑事が「法律に過剰に保護されて権利ばかりを主張する凶悪な犯罪者」を、法律を無視して「そんなこと言っても俺には通用しないぜ」とばかりに、処分を覚悟に犯人を懲らしめ・とことん痛めつけるのを見て、拍手喝采し、なんだか胸がスーッとする心理状態になれるのがこの映画の魅力です。日本で言えばさしずめ、時代劇の「必殺仕事人」といったところでしょうか。このままでは下手をするとリンチによる制裁や仇討ちを正当化しかねない世の中になってしまうかもしれませんね。

そんな気持ちにさせられてしまうのも、一つには法律がもちろん甘すぎて、犯罪の抑止力になっていないことが挙げられるでしょう。

二つには未成年者や精神障害者による犯罪に対して、どのように罪を自覚させ、償わせ、更正もしくは再教育していくのか?どのようにして再販を予防して行くのか?被害者およびその家族の無念さや心の傷をどのように癒せるのか?ということについて誰もが納得のいくようなプログラムや制度がまだ今の日本では確立されていないということが理由に挙げられると思います。
三つ目にはなぜ若者たちが、いとも簡単に人の命を奪いながら大して心を痛める事なく平然としていられるのか?

それを社会病理学的に解明して、社会全体の有り様とか、教育のシステムとか、家庭のしつけとか、個々の子供達が夢や目標を持てて人生の荒波にどう立ち向かい、何を最も大切にしながら生きていくべきかといった価値観をじっくり考えて行けるような環境にないということが挙げられます。

それらを指導すべき大人達も今の物質文明・資本主義社会にどっぷりと漬かってしまっており、拝金主義・利己主義に染まっていて、子供達から尊敬されたり、一目置かれる存在になれないばかりか、自分達のいい加減な生き方を見透かされてしまっていることが問題の本質に思えてなりません。しかし世の中見渡せば、まだまだいろんな分野で一生懸命「本物の生き方」をしている人間は必ず少なからずはいるはずです。

そのような人達にスポットライトを当て、その人達の生き様に感動し、啓発されつつ、自分達も少しでもそのような人達に近づけるように努力し、親達が身をもって子供達のお手本となれるような生き方をしていけたらと思います。

我が家では、まず手始めに「異色の音楽家・指揮者」である宇宿允人(うすきまさと)氏をその一人として選び、彼のフルオーケストラのコンサートに子供達(4〜12才)を連れて行き、演奏に対してどう反応しどのように感じるかを試してみたいと思っています。

そして彼の作り出す音楽が、彼の情熱的で妥協のないひたむきで無欲な生き方と無縁でないことやどんな分野に生きていてもその本質は同じであることを伝えられたらなと思っています。